
テントウムシ(成虫)は、かわいいと思えるのですが、苦手な虫も多いです。
特に刺す虫は、苦手です。かゆいし、痛いし、跡になることもあるし、好きではありません。
あと、どうしてもダメな虫もいます(文字にもしたくないので書きませんが。我が家では「言ってはいけないアレ」と呼んでいます。)
それなのに、都会と田舎の二拠点生活がしたい、なんて矛盾していますよ。
虫が嫌だから、自然が嫌い、という単純なことではないんです。
森の中に入ると、その色合い、その匂いや静けさや自然が奏でる音が心地がよく、「あぁ、良きかな。」と感じます。
生き返る感じがします。
でも、虫は苦手。
だから、セカンドハウスを田舎に買うとなると、久しぶりに訪れる家の中が虫だらけだと、卒倒するかもしれません。
ログハウス、素敵ですよね。とてもあこがれますが、建物の構造上、隙間が多くて虫がたくさん入ってきそうで怖いです。
自然が好き VS 虫が苦手
これをどう両立すればいいのか。
おそらく、これを両立するには、
「自然が好きか嫌いか」ではなく、どんな距離で自然と関わりたいのか
を考えていくことだ、と思うようになりました。
例えば、
- 人里離れた山奥で暮らしたい(ポツンと一軒家的な)
- 野性的に自給自足したい
という自然への憧れなら、虫や不便さも含めて自然をまるっと受け入れる必要があるだろうと思います。
野生動物や天候の変化も含めて本来の自然環境に身を置くことになりますし、不便さや予測できないことも含めて自然と共に暮らすことになります。
一方、私が描いている風景は少し違います。
- 季節を感じる森や林を散歩する
- 家の中から窓越しに木々の緑や花を見る
- その窓辺で本を読む
- 文章を書く
- 庭で植物を育てる
- 野菜を作る
- 自分で育てた野菜を使って料理をして食べる
という、「自然との接点を持つ暮らし」です。
これらは、私が好きな時間の過ごし方です。「本を読む」「文章を書く」は、自然と関係ないように見えますが、これらを自然の中や窓から自然が見える環境でしたいことです。
このことを考えてみると、完全に自然に身を委ねたいのではなく、人の暮らしと自然の間にある場所に、私は惹かれているように感じます。
「自然の中に入り込む」というよりも、自然を感じながら、自分の生活を営むとも言えると思います。
私は、現在
- 都会のマンションで大きな木を含む観葉植物を育てている
- 田舎に貸し農園を借りている
- そこで土に触れて、野菜を育てている
- 自宅の窓から空の変化を眺めるのが好き
- 自然の中で季節を感じるのが好き
です。
自然に関心がなければ、そこまで植物や季節に意識が向かないのではないかなと思います。
ただ、「自然のすべて」が好きなわけではない。
これは自然に限らず、他のことでもあり得ると思います。
- 例えば、海が好きな人でも、海水浴は嫌いな人がいます。
- 山が好きな人でも、登山はしたくない人がいます。
- 動物が好きな人でも、虫は苦手な人がいます。
好きというものは、対象全体のすべてに関心があって、そのすべてを好きなのではなく、自分が惹かれる部分への関心、なのですね。
私が求めている「自然」は、もしかすると自然そのものというよりも、自分の感覚が戻ってくる環境なのかもしれません。
私の好きなこと、例えば
- 都会のマンションの高層階から夕方の空を見る
- お茶を淹れてゆっくりと味わう
- 森の中を散歩する
- 植物の葉や花を見る
- 畑で土に触れて、野菜の成長を見る
- 夫とたわいもない話をする
これらに共通しているのは、「自然」そのものというより、その瞬間の時間を感じられることではないか、と感じるようになりました。
仕事や社会の速度から離れて、自分の感覚に戻れる時間。
ずっと私の中にある「自然の中で暮らしたい」という願いも、もしかするとそこにつながっていたのかもしれません。
植物を育てる人ほど、虫との関係は複雑になると思います。
植物を育てると、
- 発芽する
- 花が咲く
- 実がなる
- 生き物が来る
という嬉しい面がありますね。
一方で、
- 虫に葉を食べられる
- 害虫がつく
- 作物を守るための対策が必要になる(虫だけでなく、獣・鳥からも作物を守る)
という面もあります。
自然に近づくほど、きれいな部分だけではなく、生命の営み全体に触れることになります。
「虫が苦手なのに、自然の中で過ごしたいと思うのは矛盾しているのか」
への答えは、
「自然のどの部分を求めているかによる」
のかもしれません。
自然=虫も含めたすべてを受け入れること
ではなく、私にとって、
自然 = 季節、森の木々、植物、光、風、成長、静けさ、匂い
に近いものです。
そして、害虫や刺す虫を避けたいというのは、自然への憧れを否定するものではなく、「自分が心地よくいられる距離」を探しているともいえるのかもしれません。
レンタル菜園(シェア畑・貸農園)には、虫がいます。私が苦手な刺す虫がいます。
虫がいることを知った上で、それでも農園へ行っています。
つまり、
- 刺された経験がある
- 苦手な虫がいる
- 虫対策をしている(防虫ネット・携帯用蚊取り線香など)
それでも、私は野菜を育てに行く
ということです。
これは「自然が好きな人は、虫も好きであるべき」というイメージとは違います。
「虫が嫌なのに我慢している」だけではなく、
自分にとって大切なもののために、不快な部分とは折り合いをつけている
という感じです。
例えば、料理が好きな人でも、
- 洗い物・ゴミ捨ては、好きではない
- 火傷は怖い
- 暑いキッチンは苦手
ということがあります。
でも料理が嫌いになるわけではない。
植物を育てることも同じで、
- 土に触れる
- 成長を見る
- 収穫する
- 季節を感じる
という価値があるから、虫という一部の不快さとは別に付き合える。
私が避けたいのは、「自然の中にいることで、自分の生活の快適さや安心感を保つための調整ができなくなる状態」になることなのかもしれません。
①「森の奥で暮らす」 → 虫も含めて環境を受け入れる必要がある
ではなく、
②「緑のある場所で暮らす」 → 自分の生活空間と自然との距離を調整できる
私が描いているのは後者②に近いように感じます。
「自然が好きか、それならば虫が好きか」
ではなく、
「自分にとって心地よい自然との関係はどんなものか」
これを考え続けています。
もともと、私の自然との距離感は、以下の①と②の2つの考えでした。
① 自然を近くに感じたい暮らし
- 窓から木や花が見える
- 散歩で季節を感じる
- 庭や畑で植物を育てる
- 必要なら虫対策をする
- 家の中は快適に保つ
これは、自然と「関わる」暮らしです。
② 自然環境そのものに合わせる暮らし
- 虫が家に入ってくることもある
- 天候や動物の影響を強く受ける
- 不便さを受け入れる必要がある
- 自分の快適さより、自然環境への適応が優先される
こちらは、人里離れた山奥で自給自足的な生活をするのに近い暮らし、です。
こういうことを考えていると、私は、自分で自然との境界を作りながら、自然と関わりたいのだと、最近思うようになりました。
例えば、
「畑には行く。でも刺す虫対策はする」
これは自然を拒否しているのではなく、
「自然の良い部分を受け取りながら、自分が安心できる条件を整えている」
ということです。
私は、自然を感じられる環境の中で、自分らしい時間を過ごしたい。
だから虫が苦手でも矛盾しない。
自然を愛することと、刺す虫から身を守りたいことは、同時に成立するのだと、今は思います。
先ほどの自然との距離感に戻りますが、
先日「二拠点生活のためのセカンドハウスの購入はやめるかも。」を書きながら、
私が求める自然との距離感は、
①「自然を近くに感じたい暮らし」でも
②「 自然環境そのものに合わせる暮らし」でも
ない気がしていました。
当初は、田舎にセカンドハウスを買いたい、そして都会と田舎の二拠点生活をしたい、と思っていたので、①と②に近い気持ちだと思っていました。
これは、かなり長い間、そう思っていました。つい最近まで。
しかし、今は、下記のような自然との距離感もあるなぁと思っています。さきほどの①と②を含めて、自然との距離が遠い順にならべてみました。
① 自然を「眺める」暮らし
自然は主に鑑賞する対象です。
- 窓から緑を見る
- 公園や庭園を歩く
- 季節の変化を感じる
- 花を飾る
自然との関係は「見る」「感じる」が中心。
自然を眺める環境は、家から出なくてもドライブでも良いし、出かけた先の田舎のカフェでも良い。自然を眺めるのは毎日ではない。
② 自然を「取り入れる」暮らし
生活空間に自然を少し入れる段階です。
- 観葉植物を育てる
- ベランダ菜園をする(こちらに書いた通り、うちではできないですが。)
- 花を育てる
- 木や植物のある住環境を選ぶ
自然は生活の一部になりますが、基本的には人の管理下にあります。
私の場合、①と②の段階でしばらく過ごしたけど、もっと自然と関わりたいと思っていました。
③ 自然と「手を動かして関わる」暮らし
私の、現在の貸し農園がかなり近いと思います。
- 土に触れる
- 種をまく
- 育つ過程を見る
- 収穫する
- 天候や季節の影響を受ける
- 虫や病気とも付き合う
重要なのは、自然を「見る対象」から「関係を持つ相手」に変わることです。
ただし、生活の中心はまだ都市や家の快適さにあります。
④ 自然のリズムに「生活を合わせる」暮らし
農的な暮らしに近づきます。
- 季節によって生活の内容が変わる
- 天候で予定が変わる
- 土地の状態を優先する
- 収穫や保存など、自然の周期に合わせる
自然が生活の背景ではなく、生活のスケジュールに影響します。
⑤ 自然環境の中で「共に暮らす」暮らし
先ほど②で書いたものはこちらに近いです。当初は⑤を目指していました。
- 自然条件への適応が大きい
- 山間部や人の少ない場所
- 野生動物や天候の影響
- 不便さも含めて受け入れる
少し考えると、最初の「自然が好きではないのかもしれない」という疑問は、実は「自然をどこまで受け入れるべきなのか」という問いだったのかもしれません。
当初は、⑤を目指していました。セカンドハウスを買って、そこに住む、ということは、まさに、④~⑤の状態です。
私の中で、「自然の中で暮らしたい」、とは④や⑤の状態だと思っていました。
現在① ⇒ ② ⇒ ③まできています。
今の私の生活は、②と③の間、または③寄りだと思います。
③は、セカンドハウスを購入する前の今、レンタル菜園でお試し中で、自分の望みだと思っていた③~⑤(田舎のセカンドハウスでの生活)は、実は本当はやりたいことではないかも、と気づいた、ということです。
私は、単に緑を眺めたいだけではなく、
- 大きな植物を育てている
- 貸し農園を借りている
- 野菜を育てたいと思っている
- 自然との関わりを深くしたいと思っている
からです。
一方で、
- 虫がいることを受け入れて田舎に移住したい
- 自然条件に生活を合わせたい
- 不便さも含めて自然の中に入りたい
という方向ではなさそうです。
⑤ 「自然環境の中で「共に暮らす」暮らし」は、まだ自分の心を観察中です。
先日見送ったセカンドハウス用の土地(二拠点生活を実現するための土地探し②)を見に行ったときに、私は、お隣さんに「こちらは、住み心地はいかがですか?」と聞きました。
お隣さん「虫に刺されて痛い」と答えました。
そういいながら、腕をまくって、刺された箇所を見せてくれました。
お隣さん「もう痛いし、痒いし、寝られない。どんな対策してもムダ。」と嘆いておられました。
住み心地についてお聞きしたとき、私は、「静かで良いところですよ。」とか「冬は寒いですよ」とか、気候の話が出てくると思っていました。
が、お隣さんから最初に出てきた言葉が、虫に刺されたこと、でした。
⑤自然環境の中で「共に暮らす」暮らしが、いかに大変なのか、その腕を見て、またお隣さんの言葉や話し方で、私は思い知ったのです。
そのため、現在は、刺す虫はほとんどいない都会のマンションの高層階(地上30mは超えています)に住みながら、週末は、田舎の山奥の貸農園で野菜を作り、土に触れるという、週末二拠点生活を、夫と共に試しています。
「自然の中に住む」より、「自然がある生活を育てる」ことが私のしたいことかもしれません。
高層階の都会暮らしも、貸し農園も、観葉植物も、一見するとバラバラですが、共通しているのは、
「自分の生活圏の中に、自然との接点を増やしている」ということなので。

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